>>高崎駅のある群馬県を見ます<<

高崎駅は昔から一大交通拠点です。

高崎駅はJR各線が集中する群馬県最大のターミナル駅です。
高崎駅発着のJR東日本の路線は高崎線 、八高線(終点は倉賀野駅全列車当駅発着)、
上越線 、両毛線(起点は新前橋駅全列車当駅発着)、吾妻線(起点は渋川駅全列車当駅発着)、
信越本線と新幹線が上越新幹線と長野新幹線の高崎駅があります。

開業は明治17年5月のことで、日本鉄道の駅としてスタートしました。
その後明治39年11月1日に日本鉄道が国有化され、国鉄高崎駅として発展を続けました。
昭和62年4月1日国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本の駅となりました。

高崎駅のある高崎は古代から東山道・鎌倉街道が開け、江戸時代には中山道・三国街道・
日光例幣使街道などの主要幹線が交叉する一大交通拠点であり続けました。
高崎駅は現在1日の約3万人。
高崎駅東口に前橋に本社があったヤマダ電機が、本社兼大型都市型量販店LABI高崎を建設、、
平成20年6月にオープン予定しました。

高崎線は開国日本のドル箱路線でした。

高崎線(たかさきせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から群馬県高崎市の高崎駅までを
結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道幹線です。
高崎線の大宮駅〜高崎駅間は74.7km。高崎線の歴史はふるく、日本初の私鉄である日本鉄道の
第1期線として、明治17年に全通しています。

日本の鉄道の黎明期から利用された背景は、殖産振興と外貨獲得の有力な手段として養蚕業の
盛んな群馬県から貿易港の横浜まで製品を運ぶ手段が必要であったからです。
今は養蚕の面影もなくなっていますが、外貨の乏しかった当時の日本にとってはこの高崎線は
外貨獲得の文字通りドル箱路線でした。
現在の高崎線を走る特急は中距離のものが中心ですが、かつては上越線の「とき」や信越本線の
「あさま」に加え、羽越本線系統の「いなほ」や北陸本線系統の「白山」「はくたか」といった非常に多数の特急列車がこの高崎線の上を走りました。
これらの特急の名前が懐かしいですね。現在夜行列車として、青森方面へ「あけぼの」、北陸方面へ
「北陸」「能登」、新潟への快速「ムーンライトえちご」が高崎線を経由しています。


高崎線は中山道と平行して走ります。

高崎駅のある高崎市は関が原の戦いより2年前の慶長3年に井伊直政(いいなおまさ)が
和田城に移り、この地を現在と同じ「高崎」に改めました。
江戸に入ってからの高崎は中山道をはじめとして例幣使・三国・信州街道の宿場町として
主にその地の利を生かした交通の要として発展してきました。

高崎線は国道17号とほぼ並走し、一部区間を除き同じ市町村を経由していますが、国道17号線
とは旧中山道のことですね。
中山道(なかせんどう)は、江戸時代の五街道の一つで、「中仙道」とも書きます。
高崎駅を通る中山道は東海道に次ぐ主要街道でありました。
江戸の日本橋を起点にして、滋賀県の草津宿で東海道に合流し、京都の三条大橋まで。
江戸から草津までは129里あり、69箇所の宿場が置かれました。
現在の都府県で通過地をあげますと、東京都・埼玉県・群馬県・長野県・岐阜県・滋賀県・京都府と
なります。
東海道よりも40km以上長くなるのですが。東海道に比べると川止めが無いのが利点とされ、
女性は中山道を利用することが多かったといわれます。

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